+第一章+




森を出て、初めて出会った"人間"は自分と同じ位の歳の少女だった。 …と言っても、それは外見だけの話で。 実際の年齢は、自分の方が遥かに年上だろう。 人間で言えば、とっくに死んでいてもおかしくない年月を、俺は生きて きたのだから。 丘の上、少女は明らかに無防備な格好で…眠っていた。 少女を囲むように咲き乱れる草花は、太陽に向かって、ようようと伸び ている。 少女は花を周りに従え、太陽の光を一身に自分の身に受け止めながら、 幸せそうに寝息を立てていた。 春の穏やかな風が、草花を揺らしては通り過ぎていく。 ―気持ち良い…… 疲れて火照った体を、風が通り抜けては、癒す。 森を出てからでは、ココが一番自分の住んでいた集落の雰囲気に似ていた。 何だか懐かしいような、新鮮なような、曖昧な感じ。 でもココが居心地が良いのは本当で、 それはココに幸せそうに寝入っている少女を見れば明らかだった。 ゴロンと、草花の絨毯の上…出来るだけ花のある所は避けて…に寝転んでみた。 柔らかな草の葉が、重力のまま、俺の体を受け止める。 それと平行して俺の背中に、硬い新芽の葉がその存在を主張するように突き刺さり、 軽い痛みを感じた。 それでも構わず、腕を目いっぱいに広げて、寝転んだまま空を仰いだ。 蒼いキャンバスの上で、白い雲が、ゆったりとたゆたい。 太陽はどこか気の抜けた陽光を、それでも一身に放っている。 ココにいると、目に映るのは広大な空だけで、他には何も映らない。 それがかえって気持ちが良い。余計な事を考えずに済むから。 横目に、隣で幸せそうに寝入る少女を見やる。 この子が幸せそうに眠っている理由が、何だか判ったような気がした。 森の中からは、あまり空が見えない。 木々の枝の合間合間から覗く光は、キラキラと水面を光らせることは出 来るが、 洗濯物を乾かすには少しばかり量が少ない。 木々のない、開(ひら)けた場所であっても空は丸く切り取られ、全部は見えなかった。 それでも急ぐ必要もない森での生活の中では、 ゆっくりと乾くのを待てば良いだけだし。別段、急いで乾かす理由もない。 空が狭いことだって、他に…目下に綺麗なものは幾らでもあったから、 大して気にはならなかった。 そんな森での生活の中で唯(ただ)一人その事に文句を言い始めたのは、 俺の知る限りあいつが最初で最後だった。 ―『空は、本当はもっと大きいんだっ!なのに、あいつら……』― ―『お前にも今度見せてやるよっ!!すっごい綺麗なんだっ!!!森にはない、綺麗な澄んだ色を』― ―『空を……』― 子供のように熱く語っていた「あいつ」の事を思い出して、思わず笑みが零れる。 あいつはその"空"の事を、勿忘草(わすれなぐさ)の色に少し似てるとも言っていたっけ。 だから勿忘草が好きだとも。 あいつが言っていた言葉の一つ一つを思い出しながら、確かにそうかもしれないなと思った。 そんな風にして大分時間を潰したはずだが、隣で呑気に寝息を立てている、 まだ名も知らない人間の少女は一向に起きる様子もない。 折角(せっかく)初めてあった人間なのだから話をしてみたいなと考えたったものの、 あまりにも幸せそうに眠る少女を、無理矢理起こすのも何だか忍びない気がして、 こうして暇を潰して少女が起きるのを待っている。 そんな自分を呑気だなぁと、自分でも思う。 また暇を潰すようにして、目の前の空の、もっと先を見ようとして目を 頭の方に向かって動かすと、 そこには空ではなく白い屋根のようなものがあった。 驚き、反射的に上体を起こすと、白い屋根が見えた方へと目を向ける。 そこには、さっき見た白い屋根と白い外装が印象的な小さな教会がポツンとあった。 人気もなく、長い年月を感じさせる少し汚れた白。 屋根の上にそびえ立つ、これまた白い十字架だけが、ココを教会だと静かに伝えている。 こんなところに教会があったのだと、半分呆けながら教会の扉を開け た。 ホコリ臭い室内の中で、赤い絨毯と、 その先にある女神エヴァの像だけが人の営みを、動きを感じさせる。 赤い絨毯には、先程の少女のものと思われる足跡が、かすかながらに刻まれており。 女神エヴァの像は、汚れ一つない白い顔に、 崩れることのない優しすぎる微笑みを浮かべていた。 この世界共通の女神であるエヴァ様の像の前に、凛と立つ十字架。 崇敬(すうけい)の対象ともされるそれの前に、水に付けられた花が横たわっている。 少し萎(しお)れかけてはいるが、まだこうされてからは、あまり時間が経っていない。 多分あの少女がしたのだろうと、頭の片隅で考えながら、胸の前で手を組む。 「雫伝う葉 木漏れ日生む木々 全ては森の民の為に  癒しの水 陽光の瞬き 全ては人の民の為に  天の悠久 飛翼の羽音 全ては楽園の民の為に …そして全ては全ての為  女神エヴァの懐(ふところ)の下へ…」 森にだって教会くらいはあった。 こんなに立派ではなかったけど、礼拝の時には集落の皆が集まり、 それぞれが女神エヴァに祈りを捧げていた。 その際にこれを詠(うた)うのが習わしなのだが、俺はこれがあまり好きじゃない。 何か、当たり前すぎて恥ずかしくなる。 それなのに何故森を出た今も、これを詠っているかと言えば理由は簡単。 …これしか知らないから。 ミサの時に詠う歌はコレしか知らないし、詠わないと言う手もあるが、 久しぶりの礼拝だ。 手を合わせて、ただ祈るだけと言うのは失礼な気がする。 だから、こうして詠っている。 …こうして祈っている。 ―何を? ―『        』― 変なところだけ生真面目な自分を、心の中だけで嘲笑した。 ステンドグラスから降り注ぐ光を受けながら、扉をそっと開く。 未だ眠っている少女の傍に歩み寄り、ちょうど少女の上に自分の影が重なるようにして立つ。 光を遮られた影響か、少女は重たい目蓋(まぶた)をゆっくりと開けた。 寝ぼけ眼(まなこ)に、ボンヤリと浮かぶ人影。 太陽を背にして立っているせいか、顔がよく見えない。 でも、口元には悪戯な笑みが浮かんでいるように見える。 自分は眠ってしまったんだと、頭の隅で思いついたように思考を巡ら せ。 どれくらいの時間、自分がこうして眠っていたのかを考えようかと思っ たが、 目の前に何も言わず笑っている人影の方が気になって口を開いた。 「貴方は?」 人影は、待っていたかのように笑い 「俺はレイ・クワイア……君゛人間"さん、だよね?宜しく」 そう言って少女の方に手を伸ばし、握手を求める。 少女は戸惑いながらも蒼碧色の瞳をレイに向けて、 「よ、よろしく?」 握手を交わした。 レイは満足そうに笑い 「君の名前は?」 レイの手を取り、やっと起き上がった少女に向かって悪戯な笑みを投げかけた。 by 蒼鮪涙
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