+第一章+
母の優しい声は、耳によく残る声だった。
ゆっくりと語りかけている、けれど何処か遠くを見ている眼差し。
ふわふわとしているものの、耳に心に刻み付けられるような声。
幼い頃の自分にとって母の話が全てであり、母と住む家が彼の世界だった。
そんな日常の残滓はもう何処にも残っていない。
母の姿が永遠に、この家から・・・世界から消えた瞬間に――・・・。
シリル=アイドクレースは寝ぼけ眼で、時計の方を見た。
すこし霞んだ視界に映る時計の針は、既に三時を回っている。
「・・・寝すぎた」
藍色の髪を少しかきあげながら、誰にでもなくそう呟く。
翡翠色と空色の瞳――オッドアイをゆっくりと時計から逸らした。
まだ少し機能が停止している頭。眠気で虚ろな視線を、テーブルの辺りでさ迷わせる。
ふと先ほどまで見ていた、夢が心の中を過ぎった。
昔、母親にしてもらった話。
天上界と地上界が対立しているわけを、分かりやすくしてくれたお話。
優しい母がしてくれた、最初で最後のお話。
確かに地上界の人間は悪いかもしれないが、何百年も対立し会うことは無いと彼は思う。
今ならきっと、地上界の人は変わっているはずなのだ。
エヴァ様が、奇獣を創りだす一切の知識を消し去ったのだから。
彼は何時か、地上界へ降りるつもりだった。
エヴァ様が創りだした世界を、この目で見たい。それが彼の夢であり、願いだった。
だから今、空間転移の魔法を研究している。大体論理は分かった。
後は形にするだけ・・・。
シリルは立ち上がった。
そして一点を見つめる。視線の先には微笑む両親の遺影。
くるりと向きを変えると、この部屋と続きになっている自室へと向かった。
早く完成をさせたかった。
それが何故かは分からない。けれど自分だけのためでは無い、漠然とそう感じている。
両親の遺志を継いでいるつもりなのか、それとも――・・・。
真意を知るものは何も無い。彼の心の奥深く以外に。
by 結城飛由
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